アメリカとの感覚の差
現在、電撃マ王にて「マジック・ザ・ギャザリング 燃え尽きぬ炎」の脚本の仕事をしています。
もともとは懇意にしている編集者からの「マジックって知ってる?」という話から始まったこの仕事、過去にマジックをプレイしていた事もあり、受けたのですがアメリカとの感覚の差にとまどうことが多いです。
この作品、もともとはアメリカで書かれたマジック・ザ・ギャザリングの世界の小説を元にして、それを漫画用の脚本へと起こしているのですが、小説版はかなりの分量があり内容の変更やプロットの削除をしないと漫画用の脚本にはできない状態です。また、日本のコミック的な感覚への変更もありますので元のままというわけにはいきません。
しかし、この変更点に関してアメリカ側との感覚の差がよく問題になります。
特に、主人公(ヒロイン)であるチャンドラに関して「強い女」のイメージにかなりの差があります。
基本的に強い女性であるのは間違いないのですが、その意識の差がかなりあり、日本的な別の一面を見せてキャラクターの厚みを出すという演出がネガティブに取られて規制が入ってしまいます。
当初予定していたプロットの変更も迫られたりと大変ですが、まぁそういう作業も含めて発見も多いとは感じています。
あと、最近のマジックのカードにも慣れないとなとリストを見たりブースターを買って剥いてみたりしてますが、わたしがやってた当時(IceAgeからTempestぐらい)とずいぶんと違っていて、また集めてみようかなという気持ちも出てきたりして危険です。カードゲームはびっくりするぐらい金食い虫ですし。
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