難しいこと
飼っていたフェレットが死んだ。
飼い始めてもう8年は経ったから、フェレットとしてはかなりの長生きだろう。専門のペットショップなら、生まれたての小さなフェレットを売っているが、そんなことも知らずにデパートのペットコーナーで、かなり育った状態で身動きもできなさそうなゲージに入っていたフェレットを買ったので、正確にどの程度生きたのかはわからない。三月末、最後の一仕事をしていた土曜日の朝、とつぜん鳴きだした。フェレットというのは、ほとんど鳴かない生き物でこれまで鳴き声を聞いたのは、トイレから出てきたときに足下にいたのを踏みつけかけたのと、ゲージに鼻をひっかけた二回だけだったが、それが鳴き続けている。近くの動物病院に電話をかけて、箱に詰めてつれていったが、もがいた時にできたらしい傷につける薬をくれただけだった。かなりの高齢だったので、できる手はないのだと言う。
連れ帰って、ゲージではなくタオルを敷き詰めた箱に寝かせて、傷に薬をつけてやったが断続的に鳴き声をあげる。でも、してやれることはないので机の横に箱を置き仕事を続けた。数時間ほどたって、静かになった。鳴き疲れ眠ったのだろうと思っていたのだが、夕方になり買い物に出かける前に様子を見ると、もう反応はなかった。
箱の中に、好物だったスジャータをいくつかいれて、タオルを重ねた。
翌日、そのままにしておくわけにもいかずにどうしようと考えた。最初は近くの多摩川の土手にでも埋めようかと思ったが、そういうことをしてもいいのかよくわからない。かといって、近くには簡単に埋めてあげられるような空き地があるわけでもなく、結局、深大寺にあるペット供養の霊園に弔ってもらうことにした。ネットで調べると、もろもろで16000円だ。
テレビでよく紹介している、ペットに服を着せたり、ペット専用のレストランとかそういう類のものは嫌いで、そういうのはしたくなかったのだが、他に方法が見あたらなかった。北海道にいたころとは違い、東京では動物一匹弔うのにも、それなりに金をかける必要があるのだと気付かされる。難しい時代だな。
電話をかけてみると、受け付けのおじさんに問われる。
「種類はワンちゃんですか?ネコちゃんですか?」(ペットの種類で値段が違うのだ)
フェレットと答えると
「フェレットちゃんですか」との受け答え。そういう仕事だし、状況も状況なんで「フェレット」という言い方をすると怒る相手もいるのだろうが、おっさんが「フェレットちゃん」と言うことに非常に違和感を感じる。難しい時代だな。
再びタオルごと遺骸を箱に入れバスに乗って深大寺へと向かった。買ってきたときも同じようにデパートで箱詰めにされたのを抱えて家に入ったことを思い出した。
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